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九州地震支援

いわて連携復興センターでは、4月16日に発生した九州地方を中心とする震災を受け、
日々支援活動に当たられている特に現地の支援団体の皆さまに向けて、
東日本大震災において復興支援活動に関わった岩手県内の団体より、
実際に支援活動を行った上での教訓やノウハウ等を寄稿いただき、今後本サイト上から発信してまいります。

なるべく現地の支援フェーズの移り変わりに合わせた内容を掲載してまいりますが、
いち早く配信し活用していただきたいと考え、
記事作成ができた順に掲載していきますので、何卒ご容赦ください。

【九州地震における現地で支援活動を行うNPO等の皆さんへ】はこちら
http://www.ifc.jp/news/kyuusyuu/entry-1821.html


≪一般社団法人SAVE IWATE寄稿【物資支援】≫の記事はこちら
http://www.ifc.jp/news/kyuusyuu/entry-1823.html

私どもSAVE IWATEが東日本大震災の被災者支援における経験をお伝えする機会を再びいただきました。熊本地震においても、私どもの知見が少しでもお役立ていただければ幸いです。
今回は発災から数か月後、避難所で共同生活を送ってきた被災者が仮設住宅に入居し、世帯ごとの生活を取り戻す過程で必要とされた支援についてお話します。
併せて、周囲の住宅が全壊、半壊して近隣住民が避難する中、様々な事情で避難せず自宅に残る在宅被災者への支援についても振り返ります。


まず、仮設住宅についてです。ご存知のことと思いますが、仮設住宅にはプレハブ工法で建設する応急仮設住宅と、既存の民間賃貸住宅、公営住宅に入居するみなし仮設の二種類があります。どちらも避難者の負担は光熱費のみで家賃がかからないのは共通です。相違点は多々ありますが、支援の上で考えなくてはならない重要なポイントが一点あります。
応急仮設住宅が十数戸~数十戸で団地化していることに対し、みなし仮設は被災地域や周辺地域に一戸ずつ点在してしまう、という点です。応急仮設団地では被災前の地域住民にまとめて住居を提供するという配慮もなされましたが、みなし仮設は随時、空き物件に入るため、避難者は近隣に顔見知りも、同じ境遇の被災者もいない状態で暮らすことになります。
岩手の場合、みなし仮設は単に点在しているだけでなく、北上山地に隔てられた沿岸と内陸の都市部に分かれて存在しています。その距離は直線距離で90キロほど、自動車で片道約2時間。物理的にも心理的にも隔たりをもたらす遠さです。
盛岡市では、避難者同士の盛岡市内でのコミュニティ形成において拠点となる施設、もりおか復興支援センターを設置、SAVE IWATEがその運営を受託しました。2011年7月、発災から4カ月目のことです。
避難者向けに相談窓口を設け、訪問による見守りを行い、「お茶っ子飲み会」と名付けてサロン、つまり避難者同士で集まれる場所を作りました。
当時、避難者同士が集まりやすい場所の先例として、「番屋」と呼ばれていたSAVE IWATEの物資配布所が存在していました。物資配布は単に物理的な不足を補うだけではありません。共通して出かけたくなる場所を設けることで、避難者同士が出会い、多くの支援ボランティアと関わる場となるのです。後にSAVE IWATEの活動にスタッフとして、あるいはボランティアとして関わることになる避難者も、多くが「番屋」に集った方たちです。
もりおか復興支援センターでも当初、物資配布のスペースも設けました。物資の受け取りをきっかけにセンターの存在と活用方法を周知し、相談やサロンにおいでいただくことに繋げました。
熊本の地震でもすでにみなし仮設への入居募集が始まっています。県境を越え福岡県でも受け入れを行っています。熊本と福岡の間であれば隔てる距離は比較的短いものの、みなし仮設の入居者が、ゆかりの無い地域に飛び込んで生活する事には変わりません。点在するみなし仮設避難者のコミュニティづくりのため、集まるきっかけとしての物資配布やイベントが有効であることは、東日本大震災の事例が参考となるでしょう。
東日本大震災の際は、仮設入居される方には洗濯機、冷蔵庫、テレビ、炊飯器、電子レンジ、電気ポットのいわゆる6点セットが日本赤十字社から提供されました。自治体からも追加の提供がありましたが、それでも家財道具としては十分ではありません。また、家族構成に関わらず一律の内容でした。そのため、入居時には様々な家具、家電が求められました。自宅再建を目指す被災者にとって、必要な家財道具全てを購入する余裕はありません。タンス・扇風機・追加の冷蔵庫・布団・さまざまな物資の支援が必要でした。避難所でも必要とされた衣装ケースは、仮設住宅でも重宝されたようです。これらは新品が望ましいことは言うまでもないのですが、需要に応えるには中古品も必要でした。

次に在宅の被災者支援についてお話しします。
SAVE IWATEでは、東日本大震災時、一部損壊状態、あるいは津波の浸水を受けた状態の自宅で生活を続ける方を在宅被災者と呼んでいました。在宅被災者は避難所に入らなかったために行政の把握が遅れ、結果として支援の始まりと物資の質、量において取り残されることとなりました。
こうした方々へ不足する物資を提供するのも民間支援団体の役割でした。これは前回の拙稿の繰り返しとなりますが、こうした「支援格差」を解消するために有効な手段もまた、物資配布会や炊き出しなどの「人の集まる場」づくりです。対象を避難所や仮設団地に限定するのではなく、地域に広く触れ回り人を集めることで、これまで公的な支援から漏れていた方々の声を聞くことができるのです。
被災地のただ中にいて、自宅は被災していないという方々も忘れてはなりません。
津波の到達が自宅の目前で止まった高台の住民も、所属する集落が壊滅状態で取り残され、孤立状態となりました。海や町場に仕事を持っていた人々は職を失い、日々の買い物ができる商店もありません。ライフラインも月単位で止まっていました。震災被害がほとんどなかった内陸の盛岡に比べたら塗炭の苦しみと言えます。職場やライフラインの被害に応じて自治体からの被災証明書を受けることはできます。しかし、自宅や家族を失った他の被災者からも、被災地の実情を知らない外の人間からも、なかなか同じ被災者と認識されないのです。
自宅が全壊した被災者、一部損壊の自宅に住み続ける被災者、家は失わなかったものの苦しい生活を送った被災者。こうした被災状況の違いが起こす支援格差は、地域のコミュニティに深い溝を残します。この溝を埋めていくためにも、地域全体を支援し、盛り上げ、一体感を再生させる取り組みが必要です。
初期には物資配布や炊き出しも有効ですが、地域のアイデンティティを取り戻すためには、伝統芸能や祭り、文化財を復活させることも重要です。長期的にはこうした文化面での支援もNPOの大きな役割となります。三陸沿岸がそうであったように、熊本や大分も伝統芸能の宝庫と聞いています。熊本各地に虎舞が伝わっていることは三陸沿岸との不思議な因縁も感じます。魅力ある伝統芸能は旅人を呼び込み、地域を盛り上げ、人のつながりを広げていきます。人のつながりは、次なる災害において助け合う絆となるでしょう。
それもまた、災害への備えなのです。

寄稿:一般社団法人SAVE IWATE 会員 前田達明 氏


いわて連携復興センターでは、4月16日に発生した九州地方を中心とする震災を受け、
日々支援活動に当たられている特に現地の支援団体の皆さまに向けて、
東日本大震災において復興支援活動に関わった岩手県内の団体より、
実際に支援活動を行った上での教訓やノウハウ等を寄稿いただき、今後本サイト上から発信してまいります。

なるべく現地の支援フェーズの移り変わりに合わせた内容を掲載してまいりますが、
いち早く配信し活用していただきたいと考え、
記事作成ができた順に掲載していきますので、何卒ご容赦ください。

第五弾は、Vol.2に続き、緊急期、民間団体として主に『乳幼児・妊産婦支援』にあたった「まんまるママいわて」さんからの寄稿です。

【九州地震における現地で支援活動を行うNPO等の皆さんへ】はこちら
http://www.ifc.jp/news/kyuusyuu/entry-1821.html


≪まんまるママいわて寄稿【発災から2週間】≫の記事はこちら
http://www.ifc.jp/news/kyuusyuu/entry-1842.html

<2週間~1か月>

東日本大震災の状況

今後の支援のポイント

・物資が届いても、自宅避難者には、十分に配られないことがあった

・物資管理が男性のみの場合、生理用品を多くの人が往来する場所においてあって、取りづらく、遠慮する女性が多かった

・下着類は、ショーツはⅯサイズが大量に届いたが、大きめのサイズがあると、多くの方が使用できる。

・ブラジャーはサイズが細やかに分かれているので、いわゆる「ブラトップ」と呼ばれるキャミソールとブラジャーが一体になったタイプが年齢関係なく、使用できるので、喜ばれた。

・高校生・中学生などがマンパワーとして活躍したと記憶している母親たちが多い。

・子供の古着が多く送られてきたが着られないものが多かった。また個人から送られる物資は、中身が細やかにわけられており、仕訳に多くの時間と人がさかれた。

・ミルクが大量に届き、ミルクが必要ではない人まで配られ、母乳が止まってしまう人もいた(もったいなから、ミルクを飲ませた)

・離乳食は時期により、細やかに分けられている&乳児がてんでばらばらに逃げたので、なかなか配布が難しかった。

・子供の中に津波ごっこ、地震ごっこ遊びがはやり、大人が対応に迷った。

・遠方避難していても家族の安否が一時的に取れなくなった母親たちの不安が強く、家族ごとのケアが必要だった

・代表佐藤が関わった「被災妊産婦受け入れ事業」では、沿岸の病院に事業内容の説明と実際診療に携わる医師・助産師に、困っている産婦への情報提供を呼び掛けた。顔の見える関係があると、双方安心する。

・日ごろ、付き合いのあった医師会の医師や団体等の協力で、内陸避難の事業が立ち上がった。

・しかし被災者へ直接情報提供する市町村が、事業内容の把握が正確にできず「すでに生まれた赤ちゃんは入れません。妊婦は予定日一週間前からしか入れません」等の断りをしていたことも後日判明した。(被災者の移動流失を促進したくない?意図があったか?受け入れ準備をしていたが、行政サイドとの連携がうまく取れなった事例。個人情報の壁)

・自宅避難・親せき宅避難しても、物資が受け取れるように避難所に名前登録(?)や一時避難所として、所在を行政へ伝えておく。

・物資配布には、家長である男性に任せきりにしない(生理用品等の必需品が、ぜいたく品などと思っている場合がある)

・乳児連れは長時間の列に並べずに諦めている場合がある。

・物資配布場所・着替え場所の設置には、女性リーダーも必ず入れること。羞恥心や性被害にも対応できる状況を作ること。

・生理用品とともに、尿漏れパッドの需要も多かった。

・下着類は、大きめサイズ・ブラトップを準備する。

・物資を送る側は、段ボール1箱に付き、1品にする。大きく中身を明記する。

・遠方者が物資を送る場合は、本当に必要なものか確認し、もし物資でなければお金を送る

・2週間たつと、必ず行政や民間の受け入れ態勢が整い始める。病院・市が物資を受けいる時があるが、物資仕訳のマンパワーがないので、物資送るのは慎重に。

・民間支援団体が立ち上がる時期。

・近距離避難等が必ず出てくるので、必要な情報をきちんと回す。

・子供に対し、遊び場の提供、声を出せる場所、災害ごっこも必要なことである、という大人の認識。

・妊婦専用・赤ちゃん専用の物資配布会等をする。必要なものを「全員にまんべんなく配る」という行政の当たり前を見直す。(ミルクの必要じゃない赤ちゃんもいるし、離乳食も時期によって個別差が大きい)

・傾聴ボランティア・マッサージボランティアが何度も入る避難所では「ありがとう」という言い続ける疲れが出てきて、被災の状況を聞かれ続けることもあるので、ボランティアは聞かない、ということも大事

・医療従事者・行政職員は「被災地においてもいつも支援者」という周りの目、本人も被災しても助けを求めることができないことが多いことを周りが知っておく

 

被災地支援は長い目が必要です。その場その場で、緊急の対応を迫られますが、
少し離れた場所・遠く離れている場所にいる人は情報を見極めることが大事だと思います。

また妊婦・子供は特殊分野のため、専門家のケアが必ず立ち上がりますので、
それをしっかり待つことも大事です。

決して、現地にいる人の負担にならないように、顔が見える関係でないと、
緊急時の支援も相手側に大きな負担をしいてしまうかもしれない可能性を考え動きたいと思います。

また、妊婦・子供はどんどん成長し、その被災体験は受け継がれにくいものです。
災害弱者になりうる母子には、防災教育が何より大事だと思います。


※東日本大震災における支援活動の写真

いわて連携復興センターでは、4月16日に発生した九州地方を中心とする震災を受け、
日々支援活動に当たられている特に現地の支援団体の皆さまに向けて、
東日本大震災において復興支援活動に関わった岩手県内の団体より、
実際に支援活動を行った上での教訓やノウハウ等を寄稿いただき、今後本サイト上から発信してまいります。

なるべく現地の支援フェーズの移り変わりに合わせた内容を掲載してまいりますが、
いち早く配信し活用していただきたいと考え、
記事作成ができた順に掲載していきますので、何卒ご容赦ください。

第四弾は、震災後、民間団体として主に『ボランティア受け入れ支援』にあたった
NPO法人いわてGINGA-NETさんからの寄稿です。

【九州地震における現地で支援活動を行うNPO等の皆さんへ】はこちら
http://www.ifc.jp/news/notice/entry-1821.html

特定非営利活動法人いわてGINGA-NETとは】

2012年2月、東日本大震災被災地の支援活動を行う学生有志により
「特定非営利活動法人いわてGINGA-NET」(以下、GINGA)を設立。設立以降、学生ボランティアによる
岩手県被災地での復興支援プロジェクト(「いわてGINGA-NETプロジェクト」)を継続する他、
若者の人材育成事業、岩手県内学生ボランティアのネットワーク支援事業等に取り組んでいます。

特定非営利活動法人いわてGINGA-NETは、東日本大震災での復興支援活動をきっかけに設立しています。
ここでは、法人設立以前、代表者自身(八重樫は当時、岩手県立大学に在学していた)が経験した取組みや
その経緯、そこから得た「学生ボランティア受け入れ」に関する学びや教訓をわずかながら紹介させて
いただきます。

■フェーズ①:大学構内と近隣、被災地域災害VCでの活動
災害発生から数週間、避難所として開放されていた大学(岩手県立大学)構内へ、
近隣住民や在学生が避難していました。大学に設置されている学生VCは、3月14日(月)に
「学生災害VC」開設を宣言。その後、約1ヶ月間は避難所運営のサポート
大学近隣の見回り大学近隣の住民を対象としたサロン活動等に取組みました。
 一方、災害VC(釜石市、陸前高田市)運営支援に入った同センターの学生チームは、
ボランティア受付やマッチング、避難所巡回によるニーズ調査等に携わりました。この時期の活動は
災害VCスタッフの負担の軽減だけでなく、その後の長期的な災害復興支援を考えた場合、
現地災害VCや支援団体、地元のキーパーソン等との関係を構築する重要なものとなりました。
4月18日(月)、大学の通常授業開始とともに、こうした取組みは一旦の区切りを迎えました。


■フェーズ②:応急仮設住宅でのサロン活動
学生ボランティアの動きは、土日祝日を利用した日帰りの活動へ移行しました。
徐々に建設と入居が開始された応急仮設住宅でのサロン活動(コミュニティ形成支援)を開始。
現地社会福祉協議会と協働のもと実施し、生活支援相談員等専門職へつなぐため、活動記録
(地域住民の生活の様子やニーズ等)の作成と提出を行いました。


■フェーズ③:県外学生ボランティアの受け入れ、滞在拠点の整備・運営
この時期、すでに外部支援者としてのボランティアは減少する予測もあり、被災地側の思いとしては
なんとか多くの学生ボランティアを岩手県の支援につなぐこと、また夏休みに継続的な活動のしくみを
つくることが必要と考えていました。そこで①“現地まで”と“現地で”の移動手段
②活動中の滞在場所の確保を考え、試験的に学生ボランティアが
拠点滞在をしながら、ボランティア活動を行うことを試みました。ここでは移動にかかる経費を
参加団体の負担とし、現地滞在場所の提供を学生VCで手配しています。
また各災害VCからのニーズと参加学生の活動のマッチングや滞在中の生活に必要な地域資源の情報収集等も行いました。


■フェーズ④:岩手県被災地での復興支援プロジェクト
岩手県南部沿岸地域にアクセスのよい岩手県住田町を宿泊拠点として、全国から募った学生グループと
岩手県内各地でのボランティア活動に参加する仕組みを、ネットワークを組んで進めていこう、
という取組みを開始しました。

<リスクマネジメントの上で重要であったこと>
① 現地での活動内容を明確にし、その安全性を伝えること、
万が一の際の対策(ボランティア保険や緊急対応)を示すこと、
③ 現地の信頼できる支援団体(社協災害VC等)との協働体制を整えておくこと 等

<学生ボランティアの組織化とその運営のモデルにおけるスキームとして必要な要素>
1) 活動中の滞在場所(拠点)
2) 拠点までの移動手段
3) 現地での移動手段(拠点から各支援先の往復)
4) 拠点での寝食と入浴
5) 4)に関する地域資源の情報収集(食材調達のスーパー、コンビニ等、入浴施設)
6) 緊急時の地域資源情報(病院、警察署、消防署等の位置と連絡先)
7) 交通機関利用の場合の最寄駅や、そこまでの移動手段
8) 他に携帯電話各社の電波状況や拠点のIT環境等


※東日本大震災時の写真

いわて連携復興センターでは、4月16日に発生した九州地方を中心とする震災を受け、
日々支援活動に当たられている特に現地の支援団体の皆さまに向けて、
東日本大震災において復興支援活動に関わった岩手県内の団体より、
実際に支援活動を行った上での教訓やノウハウ等を寄稿いただき、今後本サイト上から発信してまいります。

なるべく現地の支援フェーズの移り変わりに合わせた内容を掲載してまいりますが、
いち早く配信し活用していただきたいと考え、
記事作成ができた順に掲載していきますので、何卒ご容赦ください。

第三弾は、緊急期、民間団体として主に『ボランティア受け入れと物資支援』にあたった「遠野まごころネット」さんからの寄稿です。

【九州地震における現地で支援活動を行うNPO等の皆さんへ】はこちら
http://www.ifc.jp/news/notice/entry-1821.html

【特定非営利活動法人遠野まごころネットとは】

震災の直後、岩手県遠野市の市民有志が被災地復興のために立ち上げ支援団体(平成23年7月27日法人登記)。全国そして世界から来たボランティアと一緒に、瓦礫撤去から「なりわい」作りまで幅広い支援活動を展開している。遠野市は、内陸地域で宮古地域で宮古市・山田町・大槌町・釜石市・大船渡市・陸前高田市などの沿岸地域との中間地点に位置しており、内陸と沿岸を結ぶ、物や人や情報が集まって行き交うHUB(ハブ)としての役割を担っている。

<発災~2週間>
発災後5日間に必要な物は、水と食べ物が中心となる。同時にトイレや紙おむつや生理用品も絶対に準備しなければならない。私たちは、東日本大震災時、避難所の地図と周辺情報を記録しながら物資を配った。その後は、ニーズに対応することが中心で、物資はただ配布せず、避難所(公私別なく在宅避難含む)の(構成員、要保護者の有無、健康状態、避難所の環境、連絡方法、必要な物等々)状況変化や新たなニーズ調査をしながら回った。避難所の状況は日々変化し、始めは毎日(後に2〜3日に1度)物資配布御用聞きに周る。それに合わせ、状況が変化する毎に避難所の地図は更新した。

被災地の状況に合わせ、行政では手が回らない避難所に指定されていない避難所や、在宅被災者宅などへ、きめ細やかな支援に対応する為、巡回チームの数は多くなった。必然的に物資配布兼ニーズ調査、ニーズ整理兼情報発信・物資調達担当、物資整理担当と分業した。分業しても、物資配布の最終確認は、ニーズを最初に受けた者が行い、確実に対応するよう気を付けた。なので、準備の可否を問わず必ず2日以内には回答又は配布した。支援者から何の回答もなければ、被災者は疲労蓄積状態であり、信頼関係が崩れる原因にもなりかねないからだ。

次第に物資以外のニーズも増えてきた。2重ローンの相談を受けたのは発災から3日後だった。生活や仕事、病気、等々,日常生活全般に関わってくるので、早期に専門的な支援が必要となり、弁護士、医者、カウンセラー等の専門チームを編成した。行政や制度にかかわることも多いが、震災により行政が機能できない状況では、民間人も行政感覚をもって考え行動する必要が有った。対応や課題は毎日のミーティングで相談した。それは情報を共有するためではなく糸口を探し解決するためでもあった。

寄稿:特定非営利活動法人遠野まごころネット 理事 多田一彦 氏


いわて連携復興センターでは、4月16日に発生した九州地方を中心とする震災を受け、
日々支援活動に当たられている特に現地の支援団体の皆さまに向けて、
東日本大震災において復興支援活動に関わった岩手県内の団体より、
実際に支援活動を行った上での教訓やノウハウ等を寄稿いただき、今後本サイト上から発信してまいります。

なるべく現地の支援フェーズの移り変わりに合わせた内容を掲載してまいりますが、
いち早く配信し活用していただきたいと考え、
記事作成ができた順に掲載していきますので、何卒ご容赦ください。

第二弾は、緊急期、民間団体として主に『乳幼児・妊産婦支援』にあたった「まんまるママいわて」さんからの寄稿です。

【九州地震における現地で支援活動を行うNPO等の皆さんへ】はこちら
http://www.ifc.jp/news/notice/entry-1821.html

まんまるママいわてとは】

2011年東日本大震災をきっかけに立ち上がった、助産師とママをつなげる子育て支援事業をメインに活動している任意団体です。専門職の助産師と子育て当事者である女性自らが、岩手県内に住む女性たち(主に妊婦・乳幼児を育てている母親など)に対して、子育て支援事業を中心に行っています。
これまで現地のNPO団体と協力し、内陸や沿岸地域で妊婦、乳幼児をもつ母親を対象としたサロンを開催。
平成27年6月より『いわて助産師による復興支援「まんまる」』から「まんまるママいわて」に名称変更し、
活動しています。

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当団体は、2011年9月に発足しました。東日本大震災の沿岸被災地を中心に、「助産師のいる子育てサロン」を実施しています。団体発足前は、岩手県花巻市における「被災妊産婦受け入れ事業」という内陸避難者の妊婦・乳幼児を連れた家族の受け入れ支援に関わりました。代表である私自身も5か月の赤ちゃんを抱え、震災を経験し、その後受け入れに関わり、団体を立ち上げ、その後5年間で気付いた支援のポイントをまとめました。

<発災から2週間>

東日本大震災時の状況

今後の支援のポイント

・妊婦・乳幼児を持つ家族が「災害弱者」であるという認識がほとんどなかったこと

・乳幼児を連れ、避難する場合には、両手が空く「おんぶ紐」が有効であった。何も使わない抱っこ等で乳児がながされるケースがあった。

・津波被災地では、一度避難したあとで、ミルク・おむつ等を取りに自宅に戻り、津波被害にあったケースがあった。

 

・津波被害があった被災地では、体育館等に避難した妊婦・乳幼児を連れた母親たちの多くが、1週間以内には大規模避難所からいなくなった(なき声・寒さ・感染症などの理由で違う場所に避難した)

・そのため、妊婦・母親・子供の所在をつかむのに苦労した自治体が多かった。

・「妊婦」が遠慮し、「妊娠している」と周りに告げないケースが多くあったので、「妊婦」というキーワードで探しにきた家族等とすれちがいが多くあった。

・「みんなが大変な時期」ということで家長が地域の物資配布場所に行くと、「ミルク」や「生理用品」等が必要でも、言わない(言えない)ケースもあった。家族一人が代表で物資をもらいに行くのでは、このような事態も起こる。

・学校避難所では、一つの教室を「赤ちゃん部屋」として管理した避難所や、老人・障がいのある方、赤ちゃん等を一緒に福祉避難所のような場所に管理した市町村もあった。

・「赤ちゃんが避難所で生まれた」「被災地で赤ちゃんのうぶ声が!」というニューㇲをマスコミが取り上げると、その人に集中し、最初は「家族に安否を知らせられる」と取材オーケーした方が、その後マスコミが押しかけ、まったく休息が取れなくなった。

・大規模災害時では、被災地の行政・医療関係者も被災している場合が多いので、県内外の支援団体からの「支援受け入れを始めているか?」「物資を送りたい」等の連絡で現地の支援者側が疲弊する場合もある。通常時に支援者側に回る行政・医療職員などは特にその役割を押し付けない。

・メール等で事実と異なる内容や悪質なチェーンメール等が出回り、母親たちの混乱を招いた。

・当団体では、代表佐藤の助産院に来ている母親たちのメーリングリスト(50名)が主な連絡ツールになり、おむつを売っている場所、沿岸へ物資を持っていく団体が必要としている物資の情報などが共有された。

 

・乳児を連れた避難には、「おんぶ紐」が有効。おんぶ紐がない場合は、リュックやさらし、一本の紐(着物帯等)で代用できる。

・スリングという抱っこ紐は、抱っこしながら授乳できるという便利さがある。

・授乳服という、着たまま授乳ができる洋服も有効。

・母乳栄養・ミルクと母乳の混合栄養の場合、災害のショックで一時的に母乳分泌が減る場合があるが、母乳分泌がなくなるわけではないので、吸わせることが大事。その場合は母親に少し多めに食料を分けると、それだけで赤ちゃんの飢餓は防げる。母乳を吸わせることで、安心感が増し、感染予防にもなる。

・ミルク育児の児の場合、優先的にミルクの配給をする。その場合、70度以上のお湯でミルクを作るようにする。清潔な哺乳瓶が維持できない場合(洗えない場合)紙コップ等にミルクを作り、すすらせるように飲ませることで感染予防になる。

・オムツが十分ない場合、大きめのおむつの中に、古布などを敷き、古布をこまめに交換する。入浴できない状況でも、なるべくでん部浴(おしりを洗う)ことで、おむつかぶれの予防になる。

・大規模災害では、被害の比較的少ない地域に早めに避難を進める(50キロ以上離れると、衣食住何とか確保できる状況になることが多い)

・妊娠は見た目で判断するのが難しい時期もあるので、必ず、申し出てもらうことを徹底する。医療チーム・保健チームに妊娠を伝えておく。(緊急時の大出血の可能性・流産・早産もあるため、妊娠初期でも必ず伝えておく)

・マスコミ等の対応を本人のみの判断に任せず、「断ってもよい」と伝えること。

・女性・子供は性被害にあいやすい。夜間の出歩き・トイレなどは複数で動くこと。

・体育館等の大規模避難所では、福祉避難所コーナーを設ける。そこに妊婦・乳幼児を連れた女性も入れること

・被災地から遠く離れた場所に住む人は、緊急時は物資を送らない(宅急便が届くころには、多くの企業・行政の物資などで生活必要品がほとんど届く)

・SNSのシェア等は、災害時、被災当事者が読み込める状況ではない(充電の問題・知人の安否等で忙しい)

・被災地以外でも、SNSの記事、テレビ等の報道を繰り返し、見ることでトラウマになる場合がある。特に母親たちは感情移入しやすい。子供が影響を受ける。テレビを消す、ネットを見ない、アニメを見る等、マスコミの情報からの自分を守るすべも伝える

寄稿:まんまるママいわて 代表 助産師 佐藤美代子 氏

※『震災から2週間~1か月』の記事は、後日掲載いたします。


※東日本大震災における支援活動の写真

いわて連携復興センターでは、4月16日に発生した九州地方を中心とする震災を受け、
日々支援活動に当たられている特に現地の支援団体の皆さまに向けて、
東日本大震災において復興支援活動に関わった岩手県内の団体より、
実際に支援活動を行った上での教訓やノウハウ等を寄稿いただき、今後本サイト上から発信してまいります。

なるべく現地の支援フェーズの移り変わりに合わせた内容を掲載してまいりますが、
いち早く配信し活用していただきたいと考え、
記事作成ができた順に掲載していきますので、何卒ご容赦ください。

第一弾は、緊急期、民間団体として主に『物資支援』にあたったSAVEIWATEさんからの寄稿です。

【九州地震における現地で支援活動を行うNPO等の皆さんへ】はこちら
http://www.ifc.jp/news/notice/entry-1821.html

一般社団法人SAVE IWATEとは】

震災の2日後、盛岡市在住の有志6人で「SAVE IWATE」を設立。被災者の安否情報の収集・整理・提供、生活相談、物資支援、県内外からのボランティア受け入れ等を行う。
平成24年2月法人化。現在は、盛岡市から受託した「もりおか復興支援センター」を運営し、盛岡市内の内陸避難者支援を行っている。その他、自主事業として、市民やボランティアの被災地支援等のコーディネート、首都圏と沿岸のマッチング等手仕事による被災者の収入支援も行っている。

 

 私どもSAVE IWATEでは、東日本大震災発生から約2年、沿岸被災地と、内陸避難者に物資の提供を行ってきました。避難生活の状況が変わるにつれ物資の要望も変わります。 
この度の平成28年熊本地震では多々、東日本大震災と状況の違う点がありますが、共通して求められるであろう物資を中心に、当時の物資支援状況を振り返ってみます。
まず発災2週間までは、着の身着のままで避難してきたという状況のもと、ありとあらゆる生活必需品が求められました。

 まず、食糧、水といった「食」の部分です。これらは、日もちする米や缶詰、レトルト食品が重宝される一方で、安らぎのため菓子や果物も多く求められました。生菓子は、避難所の配給で大変喜ばれます。(ただし、甘いパンはよく配給されるので飽きらます)数を揃えるのはたいへんですが、うまく運営できている避難所であれば子どもを優先するなど、不足しても按分してくれるはずです。果物は栄養バランスを取るためにも必要です。

 次に、「衣」です。東日本大震災では、まだ雪の降る3月中旬だったこともあり、防寒着が求められました。このときは古着でも喜ばれました。本当に着るものが何もなかったのです。ただし、古着の下着だけは「あまりに被災者に失礼」としてSAVE IWATEに届いた時点で廃棄していました。結局、古着は大量に集まってしまい、あちこちの自治体、団体でも処分せざるを得なかったことは、皆さんご承知と思います。
なにより求められるのは、新品の下着です。男女ともに需要は高かったのですが、特に女性はサイズ、年齢による種類の違いが大きく、個々のニーズに合うよう、多様な種類を用意する必要がありました。
個々の事情に合わせた必需品と言えば、オムツや生理用品も重要です。特に幼児用おむつは成長に合わせて何種類も存在するので、ニーズに合わせたきめ細やかな支援が必要です。

 「住」も重要です。避難所と言えば体育館などの固い床の上で生活するので、布団、マットレスは必須です。また、一か月後には大量の衣装ケースも必要とされました。増える支援物資=家財道具を収納するためです。意外と冷蔵庫や洗濯機などを備えていない、あっても足りない避難所は多く、さまざまな家電も求められました。

 そして、忘れてはならないのが「遊」=余裕です。落ち着かない避難所生活で、いっときの楽しみを得るため、絵本、漫画、小説など様々な本が求められました。被災を免れた釜石市の書店では、震災直後本が飛ぶように売れ、あっという間に売り切れてしまったそうです。ただし、古本は厳禁です。古着同様、大量に残って処分することになりました。
子どもたちへは玩具だけでなく、お絵かきのための落書き帳や色鉛筆も喜ばれました。

 1か月たつ頃には、多くの女性から化粧品がほしいとの声も上がりました。
被災地では生きることが第一と、生活必需品ばかりが必要と思われがちですが、心の余裕を持てるよう、避難所の中でも、できるかぎり被災前の生活を取り戻すことが、大切なのです。

 支援の上で重視したのが、現地団体との連携です。市町村役場・社会福祉協議会・ボランティアセンターには現地調査の段階でつながりを作っていきました。
公的機関の手の回らないところをフォローするのが民間団体の一番の役割です。公設、私設かかわらず、多くの避難所を回り、御用聞き、あるいは飛び込み営業のように、支援メニューの提供をしていきました。こうした「御用聞き」は避難所ごとの、いわゆる支援格差を解消することにも役立ちます。1か月後からは地区の公民館や公園で物資配布会を行い、自宅に残っていた故に避難所経由の物資が届かない方々から、ニーズ調査をする機会としました。
避難所を回るうちに、炊き出しや物資募集をしている現地の民間団体とつながります。土地の事情に精通した彼らと情報、物資のやり取りをしているうちに、長く連携できる心強いパートナーとなります。

 飛び込み営業ばかりでなく、人と情報の集まる拠点も作りました。
盛岡市内に物資の集積と配布のための拠点を開設すると、発災2週間ごろには、県内の支援団体や親せき宅へ物資を運ぶ個人の支援者が毎日のように来訪するようになりました。物資拠点の存在はあまり強力に広報できたわけではないですが、口コミの力で急速に知られていき、1か月後には沿岸被災地、内陸の避難所から個人、団体で続々と物資を引き取りにいらっしゃいました。こうした方々は物資配送の労力を肩代わりしてくれるだけでなく、貴重な情報、コネクションの源になります。
物資の余剰や滞留が危惧される今回の熊本地震ですが、物理的に生活を支えるという視点から一歩離れれば、人と人とを結びつけ、情報交換と交流を促進するという、支援物資のもう一つの役割が見えてきます。

 今は、現地の状況に配慮しながら、情報交換と交流の手段として、上手に物資を活用する。そうした知恵が求められていると考えています。

寄稿:一般社団法人SAVE IWATE 会員 前田達明 氏


4月16日に発生した九州地方を中心とする震災において、お亡くなりになられた方々の
ご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

いわて連携復興センターでは、九州地方で発生した地震災害の被災地で活用頂きたく、
また、今後の有事の災害にも備え、東日本大震災の経験をふまえた
『東日本大震災の経験をふまえた大規模災害時におけるNPO等の活動と役割』を
岩手県内の団体に寄稿頂き、弊法人ホームページ上にて発信することに致しました。

東日本大震災において復興支援活動に関わった岩手県内の団体だからこそ発信できる
災害支援に対するノウハウを伝え残していき、災害地でお役立ていただきたいと考えております。

なるべく現地の支援フェーズの移り変わりに合わせて掲載してきたいのですが、
いち早く配信し活用していただきたいと考え、
記事作成ができた順に掲載していきますので、ご容赦ください。


                        特定非営利活動法人いわて連携復興センター
                                   代表理事 鹿野順一